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ガールズオートーーク×プラス
【ゲスト】青木治親選手

★青木:親父がスピードランニングみたいなカセットをくれて、これを聞きながら寝ればって思って聞いてたら秒サツだったよ(笑)。

:アハハハハ!
話は戻りますが、チャンピオン後はいろいろ大変だったようで。

★青木:チャンピオンになったのが19・20歳の時で、21歳の時に、サッカーで言うとセリエAみたいな名門チームに入ったんだけど、オーナーが脱税で捕まってチームが無くなって。
それが年末くらいにわかって・・・。その頃には来年のチームってどこもほとんど決まってるからね。そこからチームを探すのは本当に大変で。何もないところからのスタートになって。そこから苦労したね。

日本のチームでイチから頑張ろう!ってなった時に、HONDAがフルモデルチェンジしてそれが自分にとっては全然ダメで。
その後なかなかマシンに恵まれず・・・。チームに悩まされた。
99年に500CCに乗ったけど敵わなくて、その後違うカテゴリ(スーパーバイク)でもやった。
チームの契約金はほとんどなくて、スポンサーやちょっとしたもので稼ぐ程度だったんだ。

:・・・。

:オートレースへの転身はいつ頃考えたんですか?

★青木:世界デビューから10年の節目になった時、いろいろ考えてて。
そんな時光雄さん(川口:阿部光雄選手)とポルトガルだったかな?そこで会って。
オートレースってどういうところか聞いたら、選手受付が始まったら願書くれるって言ってくれて。でもその時はオートレースに転身するって決めたわけじゃなかったよ。ずっと悩んでた。

レースデータ提供:公益財団法人JKA
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