私がオートレースに興味を持ったきっかけは12年ほど前、親友と共に川口オートへ観戦に行った事が始まりだった。
当時、オートレースに関しては右も左も全く分からないなかで、初見の私でも他の選手との違いが分かるほどコーナーを鋭く攻め上げている一人の選手がいた。
それが、片平巧だった。
過去のオートレースに関する話題は多々あれど、片平巧の活躍を語らないファンはまず、いないだろう。
ファン歴の浅い私は、片平巧が『セアの申し子』と呼ばれ、最強を誇った時代をリアルタイムでは知らない。
確かに、私がオートレースを見始めた頃は片平の全盛期から比較すれば調子を落としていたものの、その片鱗は日々のレースで随所に見受けられた。
そして日々は過ぎて2010年、旅打ちを兼ねて訪れた飯塚オートで、片平巧が再び煌めく姿を間近で見ることができた。
G2オーバルチャンピオンカップで3年ぶりにグレードレースを制覇した時だ。
地元の総大将である浦田信輔や、浜松をけん引するエース格の伊藤信夫、そして片平と同じく船橋の主力である永井大介など、豪華な顔ぶれが揃ったなかで、見事に勝利を飾った。
スピードに乗りながらコーナーを積極的に攻めるスタイルに興奮を覚えながら、これが片平巧の強さであることを確認させてくれる、そんなレースを目の前で見せてくれた。
鮮やかなラスタカラーを身にまといながらコーナーを駆ける『巧』の捌きはもう見られないが、片平巧が残した数々の軌跡は『伝説』としてオートレースファンの間で末代まで語り継がれるだろう。
一時代を築いた希代の天才オートレーサー片平巧よ、永遠なれ。
オーツナオキ